本の虫と文字の虫とその周辺 (初めての方はカテゴリより、「はじめに」と「登場人物紹介」から)
うんざりする。
自分は絶対に違うと思っていたのに、なんで。
どんよりする自分の心の内とは裏腹に、少しずつ姿を見せる桜の花たちが優しい春の訪れを告げる。
はじめての春。
自分は絶対に違うと思っていたのに、なんで。
どんよりする自分の心の内とは裏腹に、少しずつ姿を見せる桜の花たちが優しい春の訪れを告げる。
はじめての春。
「すっかり春だねえ」
越後さんはいつもの紺色のセーターを脱いでワイシャツ姿になっている。
空気の通りが悪い店の中はそろそろ暑くなりそうだ。夏は一体どうしてるんだろう。
「越後さんの頭の中はいつも春ですよね」
「ひどいな~」
「本当でしょう」
自分もアイボリー色のセーターを脱いでエプロンをし直す。脱いで思ったけどワイシャツじゃまだちょっと寒いかも。でもセーターじゃ暑いかな。
「あ、そうそう」
セーターがなくて少しは爽やか風な青年っぽくなった(実際はそんなことない)越後さんがぽん、と手を叩いた。動作が古くさい。
「この前和泉んちに来てた子の名前わかったんだよね」
「そうなんですか」
セーターないと寒いんだから早く仕事して、動きたいんだけど。
「美濃ちゃんと同じ学校らしいよ」
「…へえ」
風邪引いたらどうするつもりなんだ。
もうそろそろ仕事をしなきゃ、こんな目の前の人みたいに給料泥棒になるのだけは嫌だ。
「…美濃ちゃんと仲良いんでしょ?和泉から聞いた。なんで教えてくれなかったの」
動こうとしたらワイシャツの裾を掴まれた。カウンターに寝そべったまま、見上げられる。
他意はないはずの動作なのに、ああ、どうして。
「…紹介してとか言われたら面倒なので」
「俺人の子には手出さないよ~信用ないなあ」
「でも女子高生がいいんでしょう。そんな人には話せません」
「女子高生がいいんじゃなくて、いいと思う子が女子高生なだけだよ」
「真の変態親父って感じですね」
「ひどいな」
越後さんは苦笑とも取れるような顔でにこにこ笑って、裾から手を離す。良かった、やっと仕事できる。ここから離れられる。
「ねえねえ!」
「…なんですか」
わざわざカウンターから一番遠い棚まで来たのに、大声で話されたら全く意味がない。
面倒臭がりなのに大声は出すのか、ああ違う、面倒臭がりだから動かずに声を大きくするのか。
「一回でいいから下の名前で呼んでよ」
思わずカウンターを見た。けど寝そべってたから、顔は見えない。何考えてるのかなんてわからない。
やっぱり頭の中は春なのか。ついに沸いたとしか思えない。可哀想になったから歩いて近づいた。
「…あたしは上総じゃないです」
「代わりのつもりじゃないよ」
「女子高生ブランドですか」
「そうでもない」
じゃあ一体なんなんだ。相変わらず寝そべったまま。
ふと越後さんの背中に目がいく。シワの入ったワイシャツがいかにも彼らしいと思った。
「…びぜ、」
「名前覚えてるかなって」
「え、今言ってた?」
「越後さんって馬鹿ですよね」
うわあー、俺バカだあ!
そう言い突然起き上がって頭を掻き出す。ひるんで一歩後ずされば、ちょっと泣きそうな顔と目が合った。
「普通に覚えてますけど」
「あー、うん、俺も美濃ちゃんの名字覚えてるもんね」
馬鹿だ、こんなことで泣きそうな越後さんも馬鹿だけど、それ以上に馬鹿なのは自分だ。
何を待ってたんだろうか。あたしも春のせいで頭沸いたのか。口になんて出せるわけないし、これから絶対思い返さない。神様に誓う。無宗教だけど誓う。ってこれじゃあ誰に。
「女子高生に呼ばれなくて残念ですね」
「だから女子高生関係ないって!大事なのは、」
「…大事なのは?」
「……名前を覚えてるかどうか、でしょ」
「じゃあ越後さんは親父に名前呼びされても嬉しいんですね」
「なんでそうなるかな」
なんでそうなるかな、はこっちの台詞だ。
美濃ちゃんひどいよーなんて言う大人は放っておいて再び奥の本棚に向かう。知らないだろうけど、美濃ちゃん、なんて誰にも呼ばせてないのに。
大事なのは、本当にそれなのかな。だったらやっぱりあたしの頭は春にヤられていたらしく、神様に誓って思い返さないものがまた増えることになる。
知らない間に鼓動が早くなっていて、寒かったことなんてすっかり忘れてしまっていた。
春って恐ろしい。来年もこんなんなのか。いやいや来年以降絡むことなんてない、なんて言い切るのも、どうなんだ。
越後さんはカウンターで春の陽気に身を任せながらのんきに眠っていた。
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